旧・函館競馬場(北海道)
1883(明16)年〜1896(明29)年

函館での競馬のルーツは函館招魂社(現在の函館護国神社)例大祭の際に行われた祭典競馬(1875年6月15日)であるとされているが

本格的な競馬としての開催は
函館市海岸町で行われた競馬からかと思われる



当時、北海道様似村大字幌満村出身で斎藤義三郎氏(1847〜1907年)とうい人物がいた
以後、小野義三郎、次いで函館大経と改名

元大日本帝国陸軍軍人、北海道開拓使職員、北海道庁職員
その後、日本、とくに北海道における馬術・競馬・馬の生産の発展に大きく貢献した


斎藤源吉、ハル夫婦の四男として生まれ、やがて海産商・小野市右衛門の養子となり上京
昌平坂学問所において栗本鋤雲の下で漢学を学んだ

明治政府誕生後はその軍隊(陸軍)に属し、1868年よりフランスの軍人ペルセルの下で馬術を習得
陸軍省兵学寮に所属していた1870年、東京招魂社例大祭において行われた天覧競馬において
優れた乗馬技術を見せ、横浜レース・クラブ所属の外国人騎手とのマッチレースを制した

この活躍が明治天皇(当時北海道開拓使次官であった黒田清隆との説もある)の目にとまったことがきっかけで
のちに開拓使、次いで北海道庁に採用され
湯地定基の下で馬の生産技術向上、馬術の普及にあたるようになった

明治天皇からの下賜品を辞退した際、代わりに函館姓を与えられ「函館大経」と改めたという説がある
なお、大経と改名後も数回、明治天皇の前で馬術を披露している



1881(明14)年:時任為基の提案により現在の
函館市海岸町にて草競馬が行われた
函館大経も協力し、これをきっかけに定期的な競馬開催を目指すようになり

1883(明16)年9月:函館大経らが中心となり
北海共同競馬会社を設立、海岸町に競馬場を開設し

同年10月:
海岸町の競馬が開催された

1887(明20)年:同じく競馬開催を目的として(函館)
有志競馬会が設立されると、北海共同競馬会社は同会との合併を模索

1890(明23)年8月:
北海共同競馬会社は名を変え函館共同競馬会が発足する


1896(明29)年:渡島国亀田郡湯ノ川村大字湯ノ川字柏野(現在の函館市駒場町)に現在の
函館競馬場を建設した



北海道函館市海岸町